赤間神宮前にある海峡守護の碇。
壇ノ浦の戦いに平家の大将・知盛は全てを見収め、
碇を背に海中深く御幼帝のお供をして、竜宮城へ旅立たれました。
戦いがあった関門橋の辺りまでぶらぶら歩くと舟だまりがあって、
小さな祠が祀られていました。
ここは平家方の水主梶取として知盛配下を支援した
壇ノ浦の漁師の舟だまりのようです。
舟屋形式の住宅が数件並んでいて、すぐ近くに関門橋・・
大小様々な船が行き交って、ビュースポットでした。
壇之浦で敗れた平家水軍の落ちのびた兵は この地で漁師となり、
その子孫が住むのが壇之浦漁港だと言い伝えられています。
舟屋形式の住宅は構造が面白くてワクワクします。
潮の流れが早い関門海峡では海戦に長けた平家が優勢でしたが、
流れが変わり、勢いづいた源氏が勝利をおさめ、
ついに安徳天皇の入水という悲劇で幕を閉じました。
これより日本の政治は貴族から幕府による武家政治へと
移行していきます。
ついに壇ノ浦まで来たんだなぁ・・
日本の歴史が大きく動いた場所で、しばらく海を眺めました。